音無サノトの空想録

4コマ漫画と創作日記

人生の目的・方針を「人々に思考の本質を伝える漫画を描くこと」と宣言します

この記事は筆者である「音無サノト」という人間が人生において何を目的・方針とするかを宣誓するために書いたものです。

2022年10月18日に初稿を書き上げました(2023.04.06更新)

必要であれば適宜、修正していき自分の人生の原則として心に留めておけるようにします。

私は毎日、朝(5:00~5:30)にこの記事を読み返すことを日課にすることもここに宣言します。

 

 

人生の目的と方針の詳細

私は自分の人生の目的・方針を「人々に思考の本質を伝える漫画を描くこと」と定義しました。

この目的・方針を決定した理由について以下に述べます。

 

「人々」について

まず、私が「人々に」という国籍、性別、年齢を問わない表現を採用したのは、後に説明する「思考の本質」は万人に有益なものと判断したからです。

私自身、自ら学び何かを考える時間というのはとても孤独な作業でした。

時には辛いこともありましたが、このときの地道な作業が自分に大きな気づきを与えてくれたと思います。

「考える」という行動を大切にする全ての人たちに向け、漫画を通して伝えられることがあればと考えました。

 

「思考」について

私は思考とは「問題解決や知的創造を行う際に人間が行う過程」のことだと捉えています。

近代文明においては最も重要視されるべき行動であり、この「思考」ができることこそが人間が人間として生きられる理由だと考えています。

さらに私自身「考える」という行為がとても好きです。

高校生の頃から自分の気づきや考えをノートにメモした量は膨大な量になります。

そのことについては過去の記事でも書いてありました。

私の本質は「考える」という部分にあるのだと考えています。

私が「思考」という言葉に強くこだわる個人的な理由として、高校生の頃に読んだ『思考の整理学』に影響を受けたことにも由来しています。

 

「本質」について

私のいう本質とは、自然法則に基づいて導き出されているかを基準としています。

人間の社会は日々、目まぐるしく変化しますが自然法則だけは一向に不変であり、その不変性に基づいて導き出された考え方こそ、生きた知識として使える、というのが私の結論です。

一人の人間である以上、主観性は捨てきれませんが、自分の主張に論理的な矛盾はないよう努めることに妥協はしないです。

 

「伝える」について

私は学生時代に友人などに勉強を教える立場になることが多かったです。

どうやら周囲の人の意見を聞いてみると、私は教え方が上手いらしいとのこと。

一時は教師になるのもいいのではないかと考えましたが「ものづくり」という作業の楽しさをどうしても捨てきれませんでした。

なので漫画制作という「ものづくり」を通して、読者に「教える」つまり「伝える」ということを志そうという想いになったのです。

 

「漫画」について

数ある選択肢の中から漫画を選んだのには様々な理由が思い浮かびます。

・自分の人生の要所要所で一番助けてくれたのが漫画だったから

・何かを伝える人なら文章だけでもいいが視覚的にも伝えられる人になりたいから

・物語を通してメッセージを伝える人になりたいから

 

まだまだ理由は思いつきますが、結局のところ私は日本のサブカルチャーが好きなのです。

漫画、イラスト、ゲーム、アニメ、小説、音楽。

色々なものから影響を受けています。

ゲーム制作やイラスト制作などもやってみましたが、その中で一番続いたし、やめられなかったのが漫画でした。

なので漫画を描いていく人生を目指したいと志しました。

 

目指すべき人物像

自分の人生の目的・方針を遂行するために、こういう人物であることを心がけます。

「合理的で優しい人間であること」

「合理的」というのは思考の道筋が明確に説明できることです。

自分の主観だけではなく、客観的なデータや証拠を基に考えることを大切にします。

そのために私は独学の道を歩み続けることを決心します。

優しい人というのは他人の痛みを理解し、否定したり怒ったりせず、前向きな気持ちでいられることです。

具体的なイメージとしてはARIAという漫画のアリシアさんというキャラクター像を持ちます。

 

「探究と創造を続ける人間であること」

探究とは学び続けられること、創造とは描き続けられること。

終わりがなく、学べば学ぶほど広がっていく自分の無知の部分。

できないことに向き合うのは、とても辛いことですが、それをやり続ける人間であろうと思います。

 

「恥ずべきことは失敗ではなく主体的ではないという価値観の人間であること」

私は夢や目標を大きく語るのが苦手でした。

失敗したときの格好がつかないのが嫌だったのです。

でも自分の行動で、失敗に恥じる気持ちは捨てます。

恥じるべきは主体的に動かず、誰かに判断を任せること。

そういう価値観で生きていこうと思います。

 

私淑とする人

ここでは私が人生で迷った際に参考にしてきた方達、これからも参考にするであろう方達を記します。

漫画家が一人もいないのは、参考にしたい人・影響を受けた人が多すぎて、具体的に「この人だ!」と言える方がいないためです。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

自分が色々なことにチャレンジするようになったのは高校生の頃にレオナルド・ダ・ヴィンチの「万能の天才」という肩書きに憧れたことから始まります。

世界中の多くの知識人に影響を与えているだろう彼の飽くなき探究心は私の孤独の支えにもなっています。

 

吉浦康裕監督

『イブの時間』、『サカサマのパテマ』、『アイの歌声を聴かせて』などのアニメ映画作品を作った監督です。

作品も好きですし、創作のスタイルで共感できる部分が多いので参考にさせていただいています。

度々、登壇のイベントなどに行っては制作の裏話などを通して学ばさせてもらっています。

 

外山滋比古先生

高校生の頃に出会った『思考の整理学』は私のバイブルであり、「考える」という行為をする際に、最も参考にしている本です。

外山滋比古先生の知的創造の考え方・手法はこれからも参考にしていきます。

 

実行のために差し出すもの

目的を遂行するためには差し出すものがなければなりません。

ここでは人生において関わる重要な項目を「時間・人間関係・お金」と定義して、各項目に対しての私が何を優先し、何を差し出すのか明記しておきます。

 

時間について

1日に8 ~ 12時間の作業量をこなします。

現段階(2022.10.18)では5時起床、21時に就寝という生活を送っています。

7〜12時の5時間、13〜18時の5時間、19時〜21時の2時間を作業時間にあてます。

最低値を8時間、最高値を11.5時間としたのは自分の習慣を観察した際に3日に1回くらいは集中力が低下している日があるためです。

そういう日は集中力回復を目的とした2〜3時間の昼寝をすることにしています。

 

人間関係について

現段階(2022.10.18)では結婚予定が全くないので自分の家庭に関しては考慮しません。

両親や兄弟との仲は悪くないので現状維持で問題ないと考えます。

友人に関しては共通の趣味を持っている人たちが複数人いますので、大切にしていきたいです。

ですが遊びに使える時間は1ヶ月に1〜2回程度に抑えます。

志を共にしてくれる仕事の仲間には妥協なき意見を言い合えるような関係でありたいと思います。

 

お金について

現段階(2022.10.18)で貯蓄した幾らかのお金は生活費と学習費に使います。

娯楽費は全体の1割未満に抑えることにします。

そもそも私は浪費癖がないので、お金に関してはあまり困ったことがないです。

どちらかというと「将来的に収入が無くなるかもしれない」にずっと不安を持っていました。

でも今はお金があってもやりたいことができない人生の方がしんどいという考えがあるので、その不安とは向き合っていく人生を選択します。

将来的に収入が増えても派手に使うことはしないと決めます。

 

人生設計について

日本の男性における平均寿命は81.47歳だそうです(参照先)

そこから現在の年齢を引くと残り約53年(2022.10.18現在)

さらに具体的な日付を算出してくれるサイトがあったので参考にしました。

すると私の死亡推定時刻は2076年3月12日とのこと。

もちろん不特定要素があるので実際に死亡する時期は違うでしょうが、現段階の一つの目安とします。

 

28 ~ 30歳 デビューを目指し読み切り作成

30 ~ 35歳 作品A

35 ~ 40歳 作品B

40 ~ 45歳 作品C

45 ~           作品D

 

作品A〜作品Dまでは、どんなアイデアにしようかは考えているのですが、まだ構想が詰められてないのでボリューム感が掴めていません。

一つの作品につき15〜20巻くらいを想定、週刊連載ができた場合、4〜5年あれば作れるかな、という計算です。

ここは作品の構想が固まり次第、適宜作り直していこうと思います。

 

筆者について

私の「これから」は語ったので「これまで」のことも書いておこうと思います。

私自身、自分の人生を振り返る意図もあります。

ここでは2022年10月18日、私が28歳になった日までの人生を記述しておきます。

 

1994年10月18日に沖縄で生まれます。

そこから幼稚園の年長くらいのときに東京へ引っ越しました。

 

小学生の頃から勉強は得意なほうで、アニメや漫画も好きでした。

小学5年生の頃に買ってもらったコロコロコミックの新人漫画家の応募ページに賞金10万円と書いてあって、漫画家って「めっちゃお金持ちになれるじゃん!(この時は10万円あれば大金持ちだと思ってました)」と感じたのが、どことなく漫画家への興味に繋がったのだと思います。

ただ一番ハマっていたのはロックマンエグゼというゲームの方で、このときはどちらかというとゲーム開発やプログラミングに興味を持っていました。

ただ家庭環境では度々両親のケンカが酷く、あるとき父親と母親が互いに罵っている言葉を聞いて「だったらその二人から生まれた自分が一番この世にいらない人間なのでは?」と思いました。

両親は私自身に怒鳴ったことはほぼあまりありません。

ですが二人が口喧嘩をする姿は私自身を否定している気持ちになりました。

後に10年以上、この考えは私の人生を苦しめることになります。

 

中学生の頃は地獄でした。

入学早々に祖母が亡くなり、私は最初の1週間くらいは沖縄に帰っていました。

戻ってきたら、もう周りは友達も作っていたし、仮入部期間も終わっていて、みんな部活も入っていて中学生としての出だしを歩み始めていました。

あの頃、みんなから出遅れたことは孤立感を味わいました。

たまたま、自分のアパートの上の階にいた先輩に誘われたバレーボール部だけが唯一仮入部の体験もできたこともあり、その流れでバレーボール部に入りました。

「軽く運動ができればいいや」くらいの気持ちでした。

なので大会などに向けて行われる厳しい練習はすごく辛かったです。

先生たちの熱の入った指導も苦しかった。

両親以外の大人にも否定させるんだって思いました。

そんな気持ちなのに何故か自分らの主軸の代になったときに部長に選ばれました。

正直、意味がわからなかったです。

そこから部長としてのやることも増えて、私は耐えられなくなり辞めました。

もっと早くやめておけばよかったと今でも思います。

部活をやめて時間が空いた私は本格的にアニメや漫画の世界にハマります。

涼宮ハルヒの憂鬱』を見て、こんなに面白いものがあるんだって気持ちになりました。

初めて漫画の単行本も買いました。

ToLOVEる』と『バクマン。』を買いに行ったのを今でも覚えています。

この『バクマン。』という漫画は漫画を目指す少年たちを題材にしたもので、その影響も少しあって少しずつ漫画家への憧れが芽生え始めました。

 

高校生になりました。高校時代は比較的楽しかったです。

中学の頃の反省もあったのでゆるく軽い運動ができそうなテニス部に入りました。

自分の願望に素直になるのであれば漫画部とか美術部という選択肢もあったのですが、まだ振り切れてなくて、女子しかいない部活に入るのも気が引けて妥協策として見つけたのがテニス部でした。

でも、この部活はこの部活で結構楽しかったです。

この頃はひたすら漫画を買って読んでました。

漫画をたくさん持っていたのでクラスメイトに貸したりしてコミュニケーションの一つとしても重宝しました。

漫画ばかり読んでいたせいか、漫画の内容は覚えているのですが高校生活に何してたのかをあまり思い出せません笑。

このときから漫画のメモやアイデアをいっぱい書いていました。

ただ家族に漫画を描いているところを見られたくなかったので、あまり創作活動は活発にできませんでした。

このときにも両親は喧嘩を続けていたので、私は両親に将来を相談しようとか、そんなことを考える気も起きませんでした。

その頃に外山滋比古先生の『思考の整理学』やレオナルド・ダ・ヴィンチの書物に出会うことで、漫画を描く能力よりも先に物事を考える能力を身につける方が先だな、と思い独学の見よう見まねが始まります。

 

私はその後、情報工学科の大学に進学します。

漫画の専門学校や美術大学への進路も考えたのですが、正直絵が得意ではなかったこと、漫画家の世界が厳しいことを知ったことなどもあり、将来を見据えてパソコンの力は必要になると判断し、情報工学科に進学しました。

この頃は漫画だけじゃなくて、ゲームやイラスト、音楽などにも興味があり、そのどれも今の時代ならパソコンがあれば出来なくはない、選択肢が多く取れるし、理系の科目は得意だった、という理由もあります。

そうして私の大学生活は始まります。

大学1年生の夏休み、まだ専門的な科目が始まっていない頃に私は独学でプログラミングを始めます。

この頃の主体的な行動が後に色々なことをしていくことへの勇気づけにもなってくれました。

最終的には卒業研究が優秀賞(上に最優秀賞があったので2番目)に選ばれるくらいの成績まで修められることが出来ました。

ただ、就活はうまくいきませんでした。

「やりたいことがなかった」

正確には

「やりたいこと(漫画家)の道はあまりにも険しいから別の道を探したが見つけられなかった」

という感じです。当時は言語化できるほど理解はできていませんでしたが。

 

そして何とか内定をいただけたエンジニアの派遣会社に勤めます。

今の時代なら会社員をしながらでも、漫画を描いてWebで発表したり、同人活動もできるし、漫画を描くことは諦めなくていいかな〜とか思っていました。

それが完全に甘かった。

私は同期よりも早く派遣先が決まって研修の途中で熊本に行くことになりました。

かなり急なスケジュールで新卒1年目が始まりました。

社会人マナーを覚えつつも、急に派遣先が決まったことへの準備に追われ、派遣先では慣れない仕事をこなしながら、はじめての一人暮らしもやらなきゃいけない。

さらにエンジニアの仕事は納期がある分、どうしても残業が発生する。

1日12時間労働が当たり前の会社でした。

平日は帰宅してもご飯を食べてすぐに寝なきゃ体がもたない。

休日はそもそも気力がなくて創作活動をする気にもなれない。

数ヶ月でこれは自分には耐えられないなと思い自社の方に「やめたい」ということを話しました。

「まあ、最初は誰でもそう思うよね」

派遣元の先輩方に色々と相談はしましたが総括するとそんな感じでした。

派遣の会社なので、すぐには対応できないけど別の会社に派遣されるという選択肢もあるよというアドバイスがありました。

でも結局「何がやりたいの?」が決まらなければ、それも対応しようがない。

私はその質問がずっと嫌でした。

「何がやりたいの?」

私はいつも言いました。

「ありません」

だって漫画家という選択肢は現実的じゃない。

だから言わなかったし言えなかった。

何より私は妥協案をずっと模索してました。

なのできついなと思いながら仕事を続けてました。

その頃、派遣先の先輩の厳しい指導もうまくできなくて人間関係にも困難が生じてました。

限界を感じるたびに「仕事をやめたい」ということは言ったのですが、いつも返ってくるのは「やめるのはいいけど、何がしたいの?」という質問でした。

どうやら「とりあえず現状が厳しいから仕事をやめて冷静な気持ちになって、やりたいことを考える」という選択肢はダメなようです。

派遣元の先輩方もやめるなら、次の就職先がある程度決まっていれば、もう少しスムーズなんだけどな、という感じでした。

そんな感じで1年以上働いていました。

いつの日からか「会社を辞めたい」は「早く死にたい」に変わりました。

子供の頃から両親の喧嘩を見ていて感じた「私はいらない人間なのではないか?」という気持ちが「私はいらない人間だ」になってました。

何回か自殺も試してみましたがうまくいきませんでした。

やっぱりギリギリのところで躊躇する気持ちが生まれるし、そもそもうまく死ぬ方法がわからなかった。

それを考えることすら苦痛だった。

突発的に試しても、そう簡単に人は死ねない構造になっているんだなって思います。

そして、とうとう日本語がよくわからない、という状態になります。

普通の会話がうまくできない、という感覚です。

知っている単語のはずなのに、その単語の意味が思い出せなくなりました。

あんな感じになるなんて想像もできませんでした。

あまりにも異常だったので病院へ行き、私はうつ病だと判断されて即入院ということになりました。

 

私は休職という診断を受け、そのまま実家に戻りました。

そして半年が経ち休職期間中も完治しなかったのでそのまま退職となりました。

数ヶ月くらいはただぼーっと生きている感じでした。

何もしないのも辛かった。

嫌な日々を思い出すから。

だからとにかく寝て、起きている時はアニメでも見て、何も考えない時間を確保しました。

この頃、傷病手当というものが貰えて、何もしてないのにお金は増えていくという訳のわからない期間を味わいました。

でも、そのときに感じたのが、私はお金が増えていくことに何も感じない人間なんだなってことです。

想像してたよりも嬉しくありませんでした。

 

しばらく休んでから少し気力が戻りつつあった頃、ちょうど新年になる2019年1月1日にブログやらTwitterやら漫画制作を始めます。

お金があるし、1年間はやりたいことをやって、気持ちを取り戻したら仕事を探そうかと考えてました。

創作活動に加え、アイドルを応援したり、ライブに行ったり、オフ会に参加してみたり。

色んな「はじめて」をやっていきました。

だいぶ気力も戻ってきた頃だし、そろそろ傷病手当がもらえる期間も終わる。

(実は次に失業保険ももらえるのですが)

そろそろ就活でもしようかな〜と考えていた2019年の終わり頃。

世の中がコロナ禍にはいります。

 

ここからは世間が一気に変わっていきました。

色々な業種の方々がコロナに対応を追われる日々を傍観してました。

一生懸命働いている人たちにはほとんど実用的な補償をしなかった国の対応を報道するニュースが流れます。

そんな中、なぜか働いていない私は失業保険をもらえる期間が3ヶ月から6ヶ月に延長されました。

意味がわからなかった。

私は得してしまった側の人間なのですが、今考えても意味がわからないです。

 

そこで私はもう一度考え直します。

「普通に働いても今の日本の社会体制では安定ってないのではないか?」と。

少子化で労働者は減る。日本経済がよくなる兆しもない。

そんな中でどこかの会社に入ったところで、現状の体制を維持するために自分の人生を消費して、高齢者になったときには補償はないどころか、次の世代の負担になる可能性もある。

だったら私は何ができる?

だったら私は何がしたい?

そんなことを思ったとき、私はふと自分が死ぬ日のことを考えました。

そして自分が死ぬ可能性の高い日付を見たのです。

2076年3月12日。

上記の人生計画で参考にしている数値です。

漠然と「いつかは死ぬ」だった気持ちが「この日に死ぬ」という認識になりました。

ちょうどこの頃、子供の頃から知っている著名な方々がお亡くなりになられています。

私自身、死のうと思った日々もあります。

死という概念が鮮明にイメージできたのです。

 

私はそれに突き動かされました。

今までやっていることを全部やめて、人生経験の中で参考になったなという本を徹底的に読み返しました。

そして、作り上げた人生の目的と方針がこの記事になるという訳です。

日付を見れば自分がちょうど28歳になる日が近い。

もう迷わない。徹底的に人生を生き抜いてやろう。

28歳以降の人生を漫画家として生きる決心をしたのです。