音無サノトの空想録

ゆるい漫画を描いています

日常を肯定したいのがわたしの描きたいことなのだよ

京都アニメーションの放火事件から1年経ちましたね。

自分も京都アニメーション作品は大好きで、あの事件には大変心を痛めました。

 

それからもう一つ心を痛めるニュースが入ってきました。

俳優の三浦春馬さんが自殺したとのこと。

急な知らせで大変驚きました。

 

でも、この「急な」という感覚は部外者だからこそ感じるのでしょう。

 

数年前の話ですけどね。

自分が仕事帰りの電車で家に帰ったら死のうと思ったとき、その電車に居合わせた人たちはきっとそんなこと気にもせずスマホをいじるなり、眠るなりしていました。

当たり前のことですけどね。

みんな自分の人生で精一杯なんですよね。

 

こうやって自分が呑気にブログを書いている時にも、苦しんでいる人たちはいる訳で。

じゃあ、その人たちに何ができるか、と言われたら口を紡ぐしかなくて。

 

自殺に踏み切るまでは「急に」ではないんですよ。

何日も何日も悩み続ける日々。

そこから睡眠不足になり、思考が鈍くなって行く。

簡単なことも判断できなくなり、仕事がうまくいかない。

それでまた悩みが増えて行く。

こんな日常から抜けるためにはどうすればいいのか。

死が唯一の救いに見えてしまう。

それでも自殺はダメだって理解はしていて。

でもいきなりくるんです。

私はタオルで自分の首をしめてドアノブにかけていた時、ドアノブからタオルが滑って落ちました。

その時に気づいたんです。

 

「俺は何をやっているんだ。。。」

 

自殺したほうがいいのではないかという気持ちは常々ある。

でも合理的にそれはダメだとわかっている。

その合理的というストッパーが外れた時、人間は自分での予期しない行動をとります。

少なくとも私はそうなりました。

 

そんな経験をしているから、そういうことをもう聞きたくない。

だから目を逸らしたくてゲームとかアニメとか見て。

時にはふざけるためにネットではお調子者になった。

 

でも日々のニュースにはそんな現実逃避なんて意味ないくらい圧倒的なリアルが入ってくる。

 

それがとても辛い。

 

多くの苦しみが今の日本には蔓延している。

 

ネットの片隅で漫画を描いているだけの無名な自分は何ができるのか。

私は戦争、いじめ、貧困、こういった社会問題に対してメッセージ性のある作品を描きたくないんですよね。

そういうことを題材にせず、そこにある日常を題材にして肯定したい。

当たり前の日々を描いて、当たり前の日々だねっていう作品。

 

でもそんな作品は言葉が弱いんですよね。

ほのぼのとしているからシリアス感がないんですよね。

要は真面目なシーンを入れづらい。

でもそんなシーンを入れると描きたい日常ではなく、ちょっと小難しい話になってしまう。

それは軽い気持ちで読める漫画を目指している自分とは方向性が違う。

 

変わって行く世の中を見て、今日は色々と思いました。

描いていきたい作品、それに伴う技術、そして伝えたいという思い。

私はそれがどれも曖昧で今は足掻かなければいけない時なのだと。

 

明日からも漫画を描きます。

日常のほのぼのとした作品。

だけどその日常はありふれているけど当たり前じゃないんだ。

そう思って書かなければいけないかなと。 

 

ほんの少しの人に伝わればいいかな。