『兄妹』 自由気まま
自由ではない生き方を選択してるのかもしれません。
どうも音無サノトです。
散歩をしている時にいつも通る道。
そこに生えている木を見たときにセミの抜け殻を発見してショックを受けました。
今まで全く気づかなかった……
絵を描いているので普段から周りの景色は観察するようにしています。
なので色んなものをよく観察しているのですが……
自分がいかに「観察しているつもり」になっていたかを思い知らされました。
今の時期にセミはいないので、去年の夏に成虫になったものたちだと思われます。
それから約3〜4ヶ月。
ずっとそこにあったはずなのに全く気づかなかったです。
絵を描いているとつくづく自分が周りを見てないことに気づきます。
もう、そこに当たり前のようにある。
当たり前のようにあるからスルーしている。
大事なものもスルーしているような気がします。
絵を上達させるために、普段から見ているものをスケッチしたりするのはいい練習になると、あらゆる書籍で目にします。
なので最近は外出した際に必ず一つはスケッチするようにしています。
目についたものをボールペンを使ってスケッチブックに描く。
それを習慣にしていくことで周囲を観察する意識が少しずつ出てきた感じがあります。
さらに、より観察力を上げるために実際に触ってみるということも今日してみました。
草を触った時の感触、木を触った時の感触。
そういったものをちゃんと感じて描くために触る。
すると、また別の角度からものが見えてくるようになります。
「触る」という行為をするためには対象を自分の近くまで持ってこないといけません。
それか自分がその対象の近くまで行くしかないです。
これによって視点が変わります。
今日のセミの抜け殻も木の近くまで行き触っていた時に、上を軽く見上げた瞬間に見つけました。
ああ、なるほど。
これが学ぶということか。
色んなものを触ったり、挙句のはてに口に入れようとしたり。
子供ってそういうことをしますよね。
かつての自分もそんなことをしていたのだろうなと想像します。
そうやって世界を理解しようとしていた自分を。
いつからドキュメントの中だけで世の中を理解しようとするようになったのか。
別に教育を非難するつもりはありません。
誰かが整理してくれた情報を読み解くことで、効率よく学ぶことができますから。
ですが最近はこの「効率よく」という部分に懐疑的になりつつあります。
効率よくすることによって逆に遠回りになっているのではないか。
そんなことを思っているのです。
だから実際に自分の経験を増やすこと。
そこから感じたことをもっと信じること。
それを意識していきたいです。
本日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました!