どうも音無サノトです。
本日は高畑勲展に行ってきました。
高畑勲展に行ってきた。
— 音無サノト (@otonasisanoto) October 5, 2019
「なつぞら」の効果もあってか非常に混雑していた。
アニメ黎明期からその生涯に渡って生み出した作品への想いを感じられた。 pic.twitter.com/sBnKWMMurr
アニメーションは「思想」をものに託せる、という高畑勲の言葉が非常に印象深い。
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それが軸となり作品内に哲学が宿っている様にも感じる。
さらに緻密な事前準備に驚かされた。
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原作を何度も読み、時系列順にノートにまとめてあったり
ロケハンに行って大量のイメージボードを作成したり
とにかく圧倒的な量。
そこには高畑勲が語っていた「貧乏性」という表現で納得がいった。
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アニメーションの制作には多くの人間が関わる。
絵コンテをしっかり作らないと原画をやり直さなければいけない。
そこには労力が発生しており、描いた人に申し訳ないという監督の想いがあったのだと思う。
また原画などの展示は画力の高さに驚かされる。
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今のアニメーションの描き込まれたすごさではなく、少ない線で滑らかに動かす凄さ。
波に飛び込む少年のシーン部分が原画として連続で並べられてたが、少年の動きと波の動きだけで迫力を感じた。
さらに物語全体の感情変化をグラフにしてたのも印象深い。
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キャラクターの感情の変化や見ている側の感情の変化がどの様に変化していくかを留意して作品を作っていたと思わせる。
最近だと同じ手法を新海誠監督がやっているのをニュースで見たが、それを1963年にやっていたことに驚く。
アニメーションへの情熱と物づくりへの情熱。
— 音無サノト (@otonasisanoto) October 5, 2019
ただ画力が高いとかではなく、込められた「思想」をどう表現するかの試行錯誤を肌で感じた。
今後の作品作りに活かしたい。
と、まあ以上が感想です。
高畑勲監督の携わった作品を時代順に見ていくという感じでした。
高畑勲が東映アニメ入社後に、かぐや姫のアニメ化が企画されたそうです。
そこでプロット(物語の筋)や脚本案を社内応募をしました。
高畑勲はノートに企画案を描いたものの提出はしなかったそうです。
それから数十年。
「かぐや姫の物語」を自身が監督として携わり、それが遺作となったことが感慨深く感じます。
私は高畑勲監督の生前インタビューで「今のアニメーションはキャラがデフォルトされているのに背景が描き込まれたることに違和感がある」と発言してたのが記憶に残っています。
自分は割とデフォルトされたキャラに描き込まれた背景って好きなのですが、高畑勲監督は別の視点を持っていたことに驚きました。
なので晩年はいかに描き込まないかということを意識していたみたいです。
それらの絵コンテや原画を見ると、その挑戦の筆跡が感じられます。
あえて描かないことで見る人への想像の余地を残す。
見る側が自由に受け取れる表現というのが高畑勲の目指していたものではないでしょうか。
今のアニメーションとは別の哲学を感じました。
自分もクリエイティブなことをしてるので、参考にしていこうと思います。
本日は以上となります。最後まで読んでいただきありがとうございました!